僕は生き方の大部分を村上春樹の作品から学びました。
作品のせいにするのは筋違いだと言われそうですが、そう思ってしまっているので仕方がありません。
高校2年の時に初めて読んだ「風の歌を聴け」。
衝撃を受けた、とか言うほどのものではなく、会話が淡々と交わされていくその軽やかな文体のおかげでサラサラと読み終え「あ、終わりか」というのが正直な感想でした。
サラサラと読み終えたので、翌日もう一回読みました(もう一回読む、ということも振り返れば珍しいことなんですが)。
またサラサラ…。また大きな感動もなく最後まで読み進んでいってしまった感じ。うん、「いつてしまった」という言い方が正しいですね。
村上春樹の作品との長い時間の共有は、このように静かにスタートしました。
確か、その後「1973年のピンボール」を読み終えると、なんとなく”僕”や”鼠”に感情移入している自分に気がつきました。
「羊をめぐる冒険」の上下巻を一息に読み終える頃には、身体の中にじんわり熱い塊がある感覚を覚えて、それ以来ずっと残っています。
おかげで、口数が少なく、思っていることを上手く言い表わせず、リアクションが薄いと言われ、自分が嫌なことはせず好きなことばかりしてきてしまいました。
作品のせいにするのは筋違いだと言われそうですが、そう思ってしまっているので仕方がありません。
物事の受け止め方や判断する時の考え方に、いちいち”僕”や”鼠”やその他の登場人物が絡んでくるのです。
これから増やしていこうとしている記事の中に、自分の生き方が反映されるだろうから一番最初に書いておこうと思いました。
僕は生き方の大部分を村上春樹の作品から学んだと思います。

